前回、親と過ごすのが苦しいときは距離を置いていいんだよってことを書きました。
今日はその続きというか、それでも知っておいてほしいこと、いつかはここに辿り着いてほしいと思うことを書いたので、まずは前回の記事からお読みくださいね。
毒親とか、親ガチャとか、そんな言葉もあるけれど、本当の自己肯定感って、そこを超えて、根っこにあるものに気付いたときに生まれるのだと思います。
毒親とか親ガチャとか
毒親とは
毒親とは、子どもに悪影響を及ぼす親のこと。
過保護型。
高圧型。
甘やかし型。
無関心型。
主にこの4分類なんだそうです。
親は誰でも知らず知らずのうちに、この4分類の気質を持ってしまいがちで、なるほど、そう言われれば私自身も思い当たる節が全くないわけでもないです。
ちょっと過保護型かもなって自覚あります。笑
「親」という役割、特にお母さんって、いつだってぶっつけ本番なんです。
お腹に子どもがやってきたその日から、1日たりとも親であることを休んだり放棄したりすることってできないんです。
予行演習もないのに、何が正解かもわからないのに、常に正解を求められていて・・・
そんな中で、もがかないわけがないじゃないですか。
いつだって悩んでますよ、自分の育児の在り方って本当にこれでいいんだろうかって。
私、間違ってないだろうかって。
苦しくて投げ出したくなって泣いていても、その隣で我が子も泣いてるんです。
自分の涙をぬぐって、また我が子を抱き寄せる・・・その繰り返しです。
それはきっと、いつの時代でも同じだったと思います。
母親って、聖母じゃない。
子育てしながら、最低の自分と向き合わされることもあるし、泥臭くて、損な役回りだったりもして、それでも我が子が愛しくて、この得体のしれない、自分とは別の生き物を守ろうとして必死です。
我が子といえど、別な人間だから、わからなくなったり、見失ったりすることもあるし、行き違うことだってあります。
いつだって自分のことよりも我が子のことを先に考えて、心配して、心とお腹を満たしてあげることを考えていて、それでもすれ違うことにジレンマを感じる日もあるし。
何かあれば、自分のこと以上に喜んだり悲しんだり怒りが湧いたりもします。
女性ホルモンのバランスの影響も手伝って、感情コントロールが難しいという背景を持って子育てしている方もいれば、幼少期のトラウマを抱えたまま、自分自身が傷を癒せないままで子育てをしている方もいます。
そんな中で、いつしか毒親になってしまう人もいるのだと思います。
毒親になりたくてなっているわけじゃないんですよね。
それを一言で「毒親」と片付けてしまうのって、あまりに悲しい。
それでも子どもにとってみたら、やっぱり「毒」でしかなかったりするものまた悲しいことです。
親ガチャ
ガチャポンって、何が出てくるかわからないですよね。
欲しかったアイテム、いわゆる「あたり」の場合もあれば、こんなのいらね~っていう「はずれ」の場合もある。
子どもの立場になってみれば、親との関係性がうまくいかない時に「親ガチャはずれだわ」と感じることもあるのでしょう。
今の子たちって、ネーミングセンスあるなと、変なところで感心してしまいます。
だけどこの親ガチャ・・・本当は、あたりもはずれもないんです。
そもそも、親元には、自分自身が選んでやってきているんだよ、ってことです。
親は選べないというけれど、魂レベルではちゃんと親を選んでいます。
今世では、誰のところに生まれ、何を学ぶのか。
因縁関係があれば、その因縁関係を解消するための修行として。
この親を助けたいという想いを持っている場合もあります。
それもすべて、自分で決めています。
魂にも周波数があり、その周波数が合う親元に、きちんと辿り着くようになっています。
けど、出産時、狭い産道を通るとき、赤ちゃんはとっても苦しくて、魂が決めてきたことを忘れてしまうのだそうです。
魂が決めてきたことを忘れてしまうから、親子関係での苦しさって生じてしまうんです。
けどね、「そもそもこれは自分の魂が決めてきたことなんだな~」って受け入れると、じゃあしょうがないかと、諦めのような、覚悟のような気持ちが湧きます。
決して、諦めて親の犠牲になるとか、親に尽くすとか、そういうことではなく、苦しいときは距離を置きつつも、「毒親だ」とか「親ガチャはずれだ」と言って憎んだり責めたりするのではなく。
もっと冷静に、「この親元で、私は何を学べばいいのかな。私は私の魂をどう磨いていけるかな」と俯瞰していくことです。
その結果選択した答えがが「もう二度と会わない」でも良いと、私は思っています。
それでも親は親
親は命の源
それでも絶対に忘れてはいけないことが1つだけあります。
親は、我が命の源である、ということ。
親から虐待されようが、捨てられようが、親が生んでくれたから、今ここにこの身がある・・・それは疑いようのない事実なんですよね。
人間は母親の胎内で十月十日、育てられて、この世に出てくるのだから。
親とは何がどうなったって繋がっています。
へその緒が切れても、二度と会わないと決めて距離を置いたとしても、目に見えない繋がりは生涯切れることはありません。
DNAに刻まれている記憶、というものもあります。
親を憎んだり、親に怒りを持っていたりすると、それは命の根っこで繋がっている自分への憎しみや怒りになります。
だから、毒親とか、親ガチャだとか、言ってほしくないな…って思うのです。
そうやって親を否定している限り、真の自己肯定感って得られないからです。
自分のことを本当に愛したい、大切にしたいと思うのであれば、自分と向き合いつつ、親のこととも向き合う必要があるんです。
親に感謝したほうがいい理由
親には感謝しなさいなんて、押し付けるつもりはないです。
感謝できない状況の方もたくさんいると思うから。
親と距離を置いても、二度と会わないと決めても、それでもいい。
でも、できるなら・・・憎しみや怒りは手放したほうがいい。
その憎しみや怒りは、自分の中に飼ってて得することなど、何一つありません。
自分の内側に飼っている憎しみや怒りは、肉体をすり抜けてオーラとしてあなたの身体から発せられます。
そうすると、ますます憎しみや怒りを抱かなければならないようなことを引き寄せてしまいます。
そんな人生を歩んでいただきたくないのですよ。
親に感謝しろ・・・ではなく、自分が本当の幸せを手に入れるためには、自分の奥の奥から感謝のエネルギーが湧き上がることが大切で、その奥の奥にあるもの、命の根っここそが、親なんだよ・・・ということなんです。
命の源に感謝せずに、真の幸せを手に入れることができないから・・・なんです。
親と二度と会わないと決めていても、遠くからでも、親が我が命の源であることに感謝をする。
そして親に対して、我が命の源に対して、本当にありがたい・・・という気持ちが湧き上がったとき。
それこそが真の自己肯定感となります。
まとめ
いつもは、まとめとして、要点を箇条書きにします。
でも今日は、それぞれに考えてみてほしいので、あえてまとめません。
親の立場、親の心。
子どもの立場、子どもの心。
どっちも大事。
とっちも正しい。
だからこそ、お互いの立場や思いを想像してみるって大切なことだなと、私自身もブログを書きながら、改めて感じた次第です。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございました。
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